Kobopのブログ

映画は心の栄養

ペルソナ4をクリアしてゲームそのものの構造を捉え直した話 ※ネタバレします

どーも、こぼぴー(Kobop)です。

 皆さん、ペルソナシリーズを知っていますか?女神転生シリーズから派生して生まれたこのシリーズ。今はナンバリングタイトルとしてはペルソナ5まで発売されており、来年にはペルソナ3のリメイクが発売を控えています。私は3、4、5しかやってないのですが、このシリーズの持っている明るさと不安さが同居しながら繰り広げられていくストーリーがとても好きです。伝わる人には伝わると思いますが、シュタインズゲートの前半部分のような感覚ですね。さて、今まで私は5→3→4の順番でこのシリーズを楽しんできたわけですが、今回この記事のタイトルにもある通り、私自身ペルソナ4で最高のゲーム体験ができたのと同時に心に多くのしこりが残りました。その原因などを話していきたいと思いますが、まずはこのゲームがどれほど素晴らしいかを個人的な感想としてお話してから本題に入りたいと思います。ご了承ください。なお、私は今回steam版ペルソナ4 ザ・ゴールデンをプレイしました。

※ネタバレします

 

ペルソナ4 ザ・ゴールデン(2012) ※画像はsteam版より

発売:アトラス ※steam版はセガ

 

 

 

ストーリーについて

 主人公は両親の仕事の事情で、一年間稲羽市という結構田舎の地方都市にある叔父の家に住むことになります。その地域ではマヨナカテレビという噂が流行しており、主人公はその噂を確かめようとしてマヨナカテレビの中の異世界に入ってしまい、その中で自らのペルソナ能力を発現します。そして学校で出会った仲間たちとマヨナカテレビの真相を解明していく…というのが大まかなあらすじです。

 今作は他のペルソナ3、5よりも全体的に明るい雰囲気で始まります。登場人物は割と活発的ですぐに友達ができ、グループができます。BGMも軽快で、晴れの日に流れるYour Affectionなんかはまさにペルソナ4の雰囲気を表現しているBGMと言えるでしょう。ペルソナ4で主人公は、転校してきたものの仲間はずれになるのではなく、むしろそれと同じ境遇を持った花村陽介。元気で明るい里中千枝。優等生を体現したような天城雪子。といったように最高の転校生活のスタートを切ることができるのです。家に帰れば菜々子や堂島遼太郎がお帰りと言って迎えてくれます。一見順風満帆に思えるこの田舎町。優しく明るい友達、暖かい家。なんて良い転校先なんだ!と。

 

ペルソナ4のテーマについて

 ペルソナ。いわばもう一つの人格。人間誰しも人に言えないこと、隠したい内面があると思います。学校での私。会社での私。家族の前での私。友達の前での私。様々なペルソナを使い分けて私たちは生活しています。口ではああ言ったけども、本心は…。なんてことは少なくないでしょう。ペルソナ4はそこの内面を的確に指摘します。マヨナカテレビの中にいるもう一人の自分。それは己の心の内を体現した存在であり、現実の自分よりも生き生きしているように思えます。しかし自分のペルソナを表に出すわけにはいきません。現実はマヨナカテレビとは違い、自分のペルソナを使い分けて生活しなければなりません。登場人物たちは自分のペルソナを受け入れ、人間として成長していきます。違う自分、しかしそれもまた自分である。具現化した心の葛藤をしまい込むのではなく、むしろ共存させていく。自分と向き合うことは、現実と向き合い、過去と向き合い、そして未来に向かって歩みを進めることの重要な手順なのです。

 ペルソナシリーズでは様々な人物たちとコミュニティを築くことができます。それはバイト先の看護師だったり、夫を亡くし悲しみに暮れるおばあちゃんだったりするのですが、全員が何かしら悩みを持っています。誰もが悩みを抱え、それでも進まなければならないという、現実の酷な部分が彼・彼女らに選択を迫ります。そして全員が現実から逃げずに自分と向き合って前に進んでいきます。誰も最終的に逃げたりはしません。主人公は選択肢のどれかを選び、言葉を投げかけます。しかし最後に道を選択するのは彼・彼女らなのです。プレイヤーは誰かの人生をコミュニティを通じて垣間見ます。誰もが内に悩みを抱えていて、そんな現実から逃れたい、という自分自身のペルソナと向き合います。誰もが持っている悩み。しかしそれと向き合って進まなければならない。そんなテーマがこのゲームにはあると思います。

 

このゲームが伝える当事者意識

ストーリーも終盤。平和な田舎町に影を落としている事件の黒幕が判明します。しかし黒幕の話を聞いている内に、この事件の真の恐ろしさがわかってきます。黒幕は、たまたまマヨナカテレビがどのようなものかを把握したかに過ぎなかったのです。この偶然性という部分は、裏を返せば誰でもこの事件の当事者となり得る可能性があったということになります。町が霧に覆われ根も葉もない噂が飛び交います。霧は毒だと言ってガスマスクの購入が流行します。人は不安になると安心を求めます。もしかしたら私も噂に流されてガスマスクの購入を検討しだす。なんてことも可能性としてあるわけです。黒幕は事件を起こした理由を特に持っていません。ただ世の中に、自分の将来に不安を抱えていた一人の若者だったのです。今作は私たちに警鐘を鳴らします。一歩道を間違えれば…という当事者意識をもつことが重要なのです。だからこそ自分自身と向き合い納得のいく選択をして先へ進んでいくことが、黒幕と同じ誤った道に進まないためにも大事なのではないのでしょうか。

 

 

少し長くなりましたが、ここから本題です。

 

 

何も起きなければゲームは成立しない

メタ的な話にはなりますが、ゲームとは何かが起こらなければ物語は始まりません。もちろん例外もありますが、例えば魔王が世界を乗っ取ったとか、今作のように事件が起きなければ、それは何か目標に向かって攻略していくというゲームの前提が成り立たないからです。その前提の部分に今作の事件の黒幕は問いかけてきます。黒幕のセリフは結構人間の本質を突いていると個人的に思うので何度も見返すくらいにめちゃくちゃ好きなんですが、話を戻すと、私たちだけが事件を解決できる立場にあるわけで、逆に私たちが行動を起こさなければバッドエンドとなってしまうわけです。ではなぜ事件を解決しようとするのか。そこにはいわゆる善の心があるはずです。誰かを助けたいとか、世界を終わらせたくないといったようなことです。しかし黒幕は問いかけるのです。いわばヒーローごっこをやっているのだと。私たちに、どこかこの事件を解決する内にわくわくする気持ちがあったのは確かです。次の仲間は誰なんだろう…。とか黒幕は誰なんだろう…。とか。どんどんストーリーにはまっていく内に、自分がこの事件を解決して町に平和を取り戻すぜ!的な心意気でゲームを進めていくのです。自己満足的な感情があったことも否定できません。だから私は今作をクリアしても、どこかすっきりしないまま、のどごし爽やかに今作を飲み込めなかったのです。悲哀の感情で臨むべきであるのに、どこかわくわくする気持ちで真相究明に取り組んでいる。主人公とその仲間が善、黒幕が悪という単純な善悪対立ではなく、善と悪は非常に近しいものであると感じました。

 もし、このゲームの世界の中で事件が起こらなければ、田舎町でできた友達や義理の家族と一年間一緒に仲良く過ごすハートフルな物語が展開されたはずです。しかし事件は起きました。何もない田舎町は突如として世間の注目、人々の関心を集めます。町の人々は今まで体験したことのない現象に不安や恐れを抱き、どこへ向かえば良いのかわからなくなります。まさしく霧の中です。そして一年間を通して誰もが自分と向き合い、反省し、成長します。事件をきっかけとして、人々は一歩一歩自分自身に歩み寄り、心にかかった霧を晴らそうとしました。最後の日。満点の青空。もとの平和な田舎町に戻りつつあります。しかしそこに存在する人々は、皮肉にも悲劇的な事件を契機として成長できたのです。その事実をかみしめて、それでも前に進まなければなりません。それが現実なのです。

 私たちプレイヤーがこのゲームに参加していなければ起こらなかったであろう悲劇。ゲームというものを成立させるために事件が起こったとすれば、それを解決する責任が私たちにはあるはずです。それが主人公という役割を与えられた私たちにできる唯一の行動であり贖罪なのだと思います。

 

 

 

 

 というわけで長々と持論を述べてきたわけですがどうでしたか?何が言いたいんだという人もいるかもしれません。私も文章を書いていて、伝わるのかな…と思いましたし。ゲームを成立させるために事件が起きるというメタ的な目線で考えてしまったことが原因だとは思いますが。まあ、それほど奥の深いゲームだったということで!終わります!