Kobopのブログ

文化は心の栄養

藤原実資著・倉本一宏編『小右記』 

本文757ページ。読んだ。

 『小右記』を読むと、賢人右府と称された藤原実資(957~1046)の謹厳実直な生き様がありありと浮かんでくる。日記の内容のほとんどが、儀式次第や他の貴族の風聞に関することで、複雑化された儀式を重んじ、昇進のために水面下で謀略を巡らせ、地方の窮乏に対しては毛ほどの関心も示さなかったというステレオタイプな平安貴族観を補強するものではある。しかし、倉本氏の丁寧な読解による解説で、実資の人間味溢れる日常や、当時の貴族の慣習が把握できるのは大いに収穫だった。

 後は、他の貴族との関係性も見えてくるのが面白い。資平はことあるごとに話題や相談事を持ってくるし、道長からはやはり一目置かれているし、頼通からは頼られっぱなしだし、斉信とはバチバチだし、系図だと複雑怪奇な藤原家も、今回の読書によって、理解が非常に深まった。

 実資の存在自体が平安貴族の良心であったと思えてならない。約千年前の人物の日記を通して、今も昔も人間は変わらないなあという無常感さえ抱かせる『小右記』は、記録し続けた実資の日本人らしい生真面目さと、世間への批評的な態度と相まって、平安ではない平安時代の立体像を浮かび上がらせてくれる。実資の存在は、奇跡に近いだろう。

これがわたしたちのオルタナ Horsegirl『Versions Of Modern Performance』

Horsegirl『Versions Of Modern Performance』(2022)

 

 シカゴ出身のスリーピースバンドです。アルバム通してオルタナ全開ですね。音は完全にソニックユース、ダイナソーJrの系譜。ピッチフォークは、ボーカルがヨラテンゴ、ステレオラブみたいだとも書いてました。要するに、20年前30年前のオルタナティブロックの形式を踏襲してるアルバムなんですが、これが中々に良いんです。

 なんといっても1曲目の「Anti-glory」。開幕のドラムが緊張感あって、いきなり引き込まれます。曲名からも感じるように、なんとなく不穏を感じさせる暗さがあります。途中のダンス!の部分。煌びやかなホールで踊っているというよりは、光が明滅してるような、閉塞感のある場所で踊っているのを想像する方がしっくりくる暗さ。たまりませんね。

 

 やはり全編通してどこか不穏ですね。聴き手をグイッと引き寄せるエモーショナルな瞬間も「Dirtbag Transformation(Still Dirty)」「Homage To Birdnoclulars」「Billy」なんかにはありますし、素晴らしく永遠なんですが、やはり憂いを帯びている印象を受けます。ノイズギターなのか、ボーカルのハッキリしているけど決して太くはない歌唱なのか、それらを統括しているベースとドラムなのか、いや、全部合わさってのHorsegirlなのか。

 

 それにしても気になるのはアルバムジャケットの硬貨。調べてみると、カジキがデザインされているものは、20世紀後半のシンガポール硬貨。同治通宝は清朝の銭貨。Horsegirlと書かれた紙の下にある硬貨は最近まで発行されていたアメリカの1ドル硬貨。これらは、今は発行されていない硬貨。文字通り過去の遺産というわけですね。

 彼女たちのオルタナティブロックへの解釈を、きちんと現代風に洗練されたサウンドで楽しむことができるこのアルバムは、聴いていて懐かしい気持ちになる人もいるでしょう。(筆者はその時代をまったく経験していませんので)しかし、彼女たちが表現するサウンドが現在においてこそリスナーの耳に届くことで、この懐かしいようで瑞々しさを感じるオルタナティブロックのざらめきが、聴き継がれていくのだろうと思います。

視点の拡大 Radiohead 『OK Computer』

Radiohead 『OK Computer』(1997)

 

レディオヘッドのサードアルバムです。

前作『The Bends』よりも、バンドとして達観した姿勢が見られるような世界観を作り出しています。物語性をはらむ展開や歌詞が増えてスケールアップした内容に加え、名曲がズラリと並び、聴き手を飽きさせません。

 

前作までは、自分という存在に縛り付けられて、その結果や感情にもがき苦しんでいる、そういった弱さを吐露するような歌詞と音楽性が特徴だったと思います。しかし今作では、システマチックな社会、エッシャーの騙し絵のように堂々巡りの先が見えない世の中に対する怒りを感じました。コンピュータのように理論整然とした世界に振り回され、終わることのない不安や葛藤に苛まれ、もはや個人よりも、支配している体制側に目を向けている印象を受けました。

 

「Airbag」では、まるで救世主のように現れますが、「Paranoid Android」においては、自分を機械ではないと主張しています。「Let Down」では一心に這い上がろうとしていて、「Lucky」では、自殺を止めてくれることを愛情を確かめる手段としています。

アルバム全体を通して、このような人間の内面の弱さが描かれていることは前作から変わっていません。しかしながら、その弱さの原因を追究したときに、自分や他者との関係性とは別のものが浮かび上がってきます。それはおそらく、彼らにとっては虚無と化している社会なのでしょう。

 

「Let Down」や「Karma Police」には限りなく美しい瞬間があります。一方で、「Paranoid Android」のように、ずたずたに切り裂かれた精神をそのまま表現したような曲もあります。「Electioneering」は、もはや破綻しつつある世界への暗示にも受け取れます。我々は洗濯機に投げ込まれた衣服のように揉まれ続けているのでしょうか。

 

アルバムジャケットは、私たちが本来向かうべき道を捻じ曲げて元の場所に収束させるような、そんな印象を受けます。おそらく高速道路、近代化の象徴ですね。

レディオヘッドは、私たちに個人的な感情を与えるのではなく、問題を投げかけてくる、受動的なままではいけないと、そう訴えかけてくる。随分とテーマ性も大きくなりましたが、それを納得させるだけのパワーがこの作品にはあると。そう思います。

肉体的な。Radiohead 『The Bends』

Radiohead 『The Bends』(1995)

 

レディオヘッドのセカンドアルバムです。

前作『Pablo Honey』からの着実な進化を感じさせます。個々の楽曲が粒だっていて、より肉体性を伴ったサウンドやボーカルが耳に訴えかけてくるような。肉体性というワードを使ったのは、歌詞に自らの肉体にあらゆる感情を還元させるような表現が使われているなと思ったからです。

ギターが切り込む瞬間も、こけおどしなどではなく、きちんとメロディとボーカルが一体となってバンドの様々な側面を示してくれる手札として切ってくるのが素晴らしいと思います。「Fake Plastic Trees」なんて…ザラザラしたギターの感触が、まさにすり減っていく感覚を感じさせてくれるようです。

 

前作よりも一段と内面の弱さを体現したようなボーカル。そんな自分の弱さを吐露するような歌声と一体となって押し寄せてくる音の波。

せせらぎのような瞬間もあれば、洪水のような瞬間もある。雨が降れば川があふれるように、人間の心の揺れを自然なものと捉えて、そのままに描写し、揺れ幅は音のうねりで表現する。このバンドの姿勢が伝わってきたような印象を受けました。

 

加えて、ソングライティングも素晴らしい。感情そのままに吐き出した曲も良いですが、「Bones」や「Bullet Proof…I Wish I Was」のような、痛みを聴き手の髄に染み渡らせる曲も好きです。「Black Star」に見られる、必然性を偶然性にすり替えてしまう描写。深刻なほどに、何か業を抱えていることを自覚していなければ表現できないような歌詞世界にうっとりしますし、心配にもなります。

まあ、それがレディオヘッドの表現したいことなのかもしれません。

 

とにかく、ギターロックとして粒ぞろいの楽曲がひしめきあっています。前作からの進化具合に驚きですが、どうやらプロデュース陣にも恵まれたからのようですね。

前作のとにかくかき鳴らす姿勢から、今作では静と動の塩梅もいい感じになって、より感情を高ぶらせるような方向性に持っていくことができたのは素晴らしいでしょう。

 

とにかくメロディとボーカルの一体感が心地いい…

骨身に沁みますね…

表現の源流は確かにここから Radiohead 『Pablo Honey』

Radiohead 『Pablo Honey』(1993)

 

レディオヘッドのファーストアルバム。彼らはこの後、『The Bends』『OK Computer』等、名作を次々と生み出していくわけですが、どうやら本アルバムはそれもあって影が薄いらしいです。世間的にも、そして私自身にとっても。いつか聴こうと思って幾年が経ち、そしてようやく聴きました。

 

なーんだ、結構良いじゃない。

 

最初に聴いた時の素直な感想です。

 

まず、全体から。

瀑布のようなギターの存在感の大きさ。感情が見え隠れするドラム。トムヨークの若々しく、線の細いようで感情が直に伝わってくるボーカル。大方は予想していた通りの雰囲気というか、むしろ「Creep」が少し浮いているくらいに感じました。でもやっぱりアルバムを通して聴いた時に印象に残りにくい曲が多いのは私自身の中であって、おそらく彼らが影響を受けてきた要素が、最も純粋に反映されているからだと思いました。それを彼らがどう自らのバンドのアイデンティティとして組み込んでいくのか、という点において少々影響元に喰われすぎたのかなと。それもあって、どこか既視感のある雰囲気に収まっているところがあるんでしょうね。

 

とかなんとか言ってますが、好きです。このアルバム。

このアルバムの中だと事前に知っているのは「Creep」くらいでしたが、「Anyone Can Play Guitar」や「Vegitable」など一瞬光るような曲が結構あって良いですね。純粋に聴いていて楽しいし、ギターのノイズやザクザクした感じが肩を揺らしてくれます。ドラムも結構前に出てきて、軽快に叩いてくれますし。音だけ聴くと視界明瞭なギターロックですよ。

 

歌詞に注目してみると、トムヨークはこの時からすでに悩み抜いているといった印象。トムヨークはいろいろなしがらみの中で楽になりたいんでしょうかね。どうしようもない現実や自分自身の感情に対してもはや諦めのようなようなものを感じてしまいます。「Prove Yourself」で”死んだほうがましだ”とか、「I Can’t」なんかで見えるような極端な方向に走ってしまう姿勢。「Lurgee」にしても、何か解放されて楽になったような印象を受けます。「Blow out」なんか、まるで見た相手を石にしてしまうメデューサにおける悲劇性を感じさせずにはいられません。

何か良いことでも悪いことでも経験をしたとして、人間というのはそれを糧にして成長していく、というのが一つ法則だと感じていましたが、このアルバムからはそれが感じられない。乗り越えた先にあるのは深い悲しみ。もしくは世界に対する、人生に対する諦念のような。悩みに悩んだ結果として絞り出されたのがこの世界観であるならば、レディオヘッドがこの後表現していくことへの一貫性が見えた気がします。

 

いやぁ、聴いてよかったです。

音楽性もコロコロと… 『塊魂 Rolling LIVE オリジナルサウンドトラックーららまりだましい』

どーも、こぼぴー(Kobop)です。

最近『塊魂』シリーズの新作がApple Arcadeでリリースされましたね。

個人的に大好きなゲーム作品なので、今回リリースされた新作も早速遊び倒しました。内容についても語りたいですが、今回はその音楽について感想を書きたいと思います。『塊魂』といえば、無印のサウンドトラック『塊フォルテッシモ魂』はゲーム音楽史に燦然と輝く傑作であり、コミカルな楽曲からシュールな楽曲まで、多彩な音楽性を巻き込みながら独特の世界観を生み出しています。その特性は後のシリーズ作品にも引き継がれていき、今回リリースされた新作においても例に漏れず、様々な楽曲がゲームの世界観を彩っています。プレイ体験をより向上させてくれるのは勿論、思わず転がす手をとめて聴き入ってしまうほどの魅力に溢れた楽曲群が素晴らしいですね。では本題へ

 

『塊魂 Rolling LIVE オリジナルサウンドトラックーららまりだましい』(2025)

 まず、めちゃくちゃ楽しいな!!!聴いててめちゃくちゃワクワクするな!!!正直全部良すぎて、遊び始めた頃は毎回手を止めて聴き入ってました。おかげでストーリーを全然進められないなんてことに、、、。それほどに通底して楽しい・ワクワクという、『塊魂』を遊ぶ上で欠かせない感情をさらに高ぶらせてくれる雰囲気の楽曲群がひしめき合ってる印象を受けました。それは今までの過去作も同様なんですが、今回はさらにアップグレードしてきたな、、、と。

個人的に『塊魂』のプレイ体験の根幹を担っている、コロコロ転がすという動作と非常にマッチしていると感じます。同時にモノを巻き込んだときの小気味よい気持ちよさも、楽曲の雰囲気と相性が良い。リズムに良い意味で角が立ってるおかげでノりやすいし。それでいて、今まで以上に独特な世界観の楽曲も収録されていて、きちんと『塊魂』の音楽というクオリティは担保しつつ、トガりにトガった曲を入れることも忘れない。一曲の中に面白いギミックが結構あって、「BGMとして聴き逃させねーぞ」という制作陣の気概が伝わってきました。

この記事のタイトルに、音楽性もコロコロと…と書いてある通り、『塊魂』の世界観を下敷きに色とりどりの楽曲群が収録されています。「丑三つふたり」の、まどろみの中のようでしっかりと気持ちを前進させてくれるような感覚。「かたどる砂場」の、音数は少なく洗練されていながらも、おもちゃ箱のようなガチャガチャした雰囲気でありながら、それとボーカルの通った歌唱が対称的で印象に残ります。「いろんな歌を混ぜたときのうた」は、音の景色はもちろん、シンプルに歌唱が素晴らしい。この曲をバックに、断末魔をあげながら巻き込まれていく人々を眺めているとき、このゲームの素晴らしさをなぜか感じます。「星を作れたら」なんて、純粋な愛についての歌じゃないですか、、、。マクロな世界観とミクロな世界観をうまく融合させて、それでいて「かたまり」というコンセプトに根ざした素晴らしい楽曲ですね。

加えて、「ブンサン・ボディ」のような変わりダネも。確かに刻むビートが気持ちよく、ダウナー調のラップが絶妙な塩梅。「「か」「た」「ま」「り」の魂」は、多分真剣にふざけているんでしょうね。語感とリズムの気持ちよさだけを追求し、音楽の美味しい部分を余す所なく掬い取っています。

「ステキナノカデパレード」に見られるような、懐かしい味付けも重要だと思います。作品の中において、ローポリゴンで描写される文房具やおもちゃ。まだ世界に対して解像度が低かった子どもの頃を思い出します。そんな思い出にも浸らせてくれる、素晴らしい曲です。

 

ゲーム作品自体の面白さもさることながら、その作品の世界観を支える音楽も素晴らしい『塊魂』。今回の『塊魂 Rolling LIVE』においても、それは遺憾なく発揮され、ゲーム音楽にとどまらない、優れたポップスとしても完成されています。「かたまり」を通してひとつになる、というメッセージを込めつつ、遊ぶところではきちんとはしゃいでいて、制作陣のポテンシャルの高さを感じ、ボーカルの人選もハマっていると思います。それと、全体を通して感じる微かな懐かしさ。それらが組み合わさって、素晴らしい音楽のかたまりを生み出しているのだと感じました。

『スヌーピーのモトクロス大会』にみる大人の不在

どーも、こぼぴー(Kobop)です。

 ピーナッツ作品って良いですよね。原作の方(PEANUTS)はまだ読んだことないのですが、ここ最近アニメ作品の方をいくつか鑑賞しています。ピーナッツ作品を観るまでは、ここまで子どもの自由や感情表現を尊重した作品であることを知らなかったので衝撃を受けました。そこで、今回はその中でも、『スヌーピーのモトクロス大会』について取り上げたいと思います。

※ネタバレします

 

 

『スヌーピーのモトクロス大会』(1975)

監督:フィル・ローマン

 

 

 この作品は、モトクロス大会の優勝を目指してスヌーピーやチャーリー、ペパーミントらが争いを繰り広げる、といった内容になっています。とはいっても、スヌーピーとペパーミントのモトクロスバイクは結構馬力のある感じなのですが、チャーリーのモトクロスバイクはなけなしの貯金をはたいて買ったオンボロのモトクロスバイクなんですね。しかし実際のレースでは、余裕を見せていたペパーミントは沼に落っこちて、寄り道や遊んでばかりいたスヌーピーも負け、最終的には余裕もなく、ガタガタのモトクロスバイクで、それでも着々と進み続けたチャーリーが優勝します。これだけでも素晴らしい作品なのですが、真に感動したのは、なんといってもこのモトクロス大会が、おそらく子どもたちだけによって開催されているという点です。

 

 冒頭でも述べたように、これまでピーナッツのアニメ作品をいくつか鑑賞しましたが、それらの作品すべてに大人の姿が直接描かれていないんですよね。それによって、子どもの行動を抑圧したり、自由を制限したりする存在として扱われることが多い、大人という要素を排除し、子どもたちと一匹の犬と小鳥だけが織りなす確固たる世界観を造り上げているのがピーナッツ作品の魅力の1つだと思うのです。

 

 『スヌーピーのモトクロス大会』においても大人の存在は確認されず、出場選手インタビューも、スタートテープを持っているのも、優勝賞品を渡すのも、盛り上げる観客も、すべてが子どもたちだけによって行われています。それが最も顕著に表現されていると思う点は、レース展開のグダグダ感にあると思います。レース開始直後、チャーリーとスヌーピーはカーブで転倒。病院に運び込まれます。しかしチャーリーは動物病院に、スヌーピーは普通の病院に間違えて入れられるのです。そしてレースに復帰。加えて、スヌーピーのバイクのエンジンが壊れ、スヌーピーはテニスボールを射出する機械をバイクに改造します。また、チャーリーのバイクのヘルメットが無いからといって、カボチャをくりぬいて頭にかぶせます。いいですか、これらの出来事はすべてレースの最中に起こっている出来事なのです。こんなに寄り道しているのにもかかわらず、なぜかレースの展開が肉薄できるようになっているのは、ピーナッツ作品にみられる、子どもの自由を尊重する姿勢なのではないでしょうか。それはレースをきちんと進行したり、レースのルールについてとやかく言うような大人の不在が、テニスボール機バイクやカボチャヘルメットのアイデアを肯定する。言い換えれば、子どもの自由を尊重するピーナッツ作品の世界観が、子どもたちがレース中にやってしまう行動を肯定してくれるのです。

 

 今回は、大人の不在、という観点からピーナッツ作品の世界観を述べてみましたがどうだったでしょうか。演出的にも冒頭のテニスシーンや後半のレースシーンなど、素晴らしい箇所は多々あり、優勝賞品の場面のチャーリーの皮肉など、ユーモアもちりばめられた作品です。個人的に、ピーナッツ作品における子どもの感情表現についても書いてみたいので、時間があれば書いてみたいと思いました。では、また。